ソシャゲについて。
バームクーヘン
飲み物がないとつらい食べ物No.1だと思う。
久々に食べていて、ふと「バームクーヘン積分」なんてものを思い出す。
私が最初に知ったのは高校生のときであるが、
証明を付け加えるのが好きな私の師でさえ、証明なしで
こういうものがあるよ
とだけ言い、式を教えてくれた。(と記憶している)
正直、当時は全く理解できていなかった。
お風呂に入っていてふと、証明はどうするのかと考えてみた。
細かい議論が必要なのかどうかずっと怪しかったのであるが、
少し強い仮定を認めてしまえば
高校数学の範囲でも充分証明できることがわかった。
イメージとしてはバームクーヘンよりトイレットペーパーのほうがわかりやすく
側面積の総和が体積になるというものであり、
球の体積と表面積のイメージにも応用が利くものであると思う。
話は変わるが、もう解散してしまった19の曲の歌詞に
次のようなものがある。(著作物であるため、あくまで内容)
知識が増えると不思議という感覚がなくなってしまう
昔からなぜなに少年であったからか
不思議に思うことは調べる癖がついてしまっている。
この年になっても不思議という感覚はなくならないのは
自分の知識が不足しているのだろうか。
物知り博士になろうとは思わないが
この感覚がなくなったとき、なにか自分の中で終わりを迎えるのだろう。
2017年02月22日 日記 トラックバック:0 コメント:0
数学にひらめきは必要か。
数学にひらめきは必要か。
結論から言うと、必要である。と私は思う。
ただこれでは少し語弊があるので少々言葉を加えたい。
まず、冒頭に主張したことを、言葉を省略せずに書くなら
数学(という学問を研究するの)にひらめき(や直感といった論理に頼らない部分)は必要である。
こうなる。
学校で習う数学にひらめきが不必要かと問われると絶対ではないと思う。あくまで絶対にではあるが。
ただ、科目上の数学を勉強するうえで、ひらめきや直感はあったほうが何かと都合がよい。
ひらめきがあれば、難問と言われる問題を解決できるかもしれない。
長い計算を一瞬で終わらせることができるかもしれない。
しかし、それはあくまで一方的に有利になるということだけであり、
絶対に必要なのかと問われればそうでもないものであると思う。
数学を指導する立場として
点を取る生徒は「知識」があり
なかなか伸びない生徒は「知っていても、知識がない」ように見える。
よく「公式は覚えているけど、問題が解けない」ということを聞くが
それは「知っている」だけであり、別の見方をすれば
全然知識がないのである。
高校を卒業してずいぶん経つが
私は数学をやっていて発見をすることがある。
それは今まで「知っていただけ」だったものが
「知識」に昇華した瞬間でもある。
この発見すること自体が、知っていることから知識への触媒であり、
質のある学習として蓄積されていく。
蓄積された経験は新たな触媒となり、知識への昇華を加速する。
充分に加速されたとき、ひらめく瞬間がやってくるのだ。
2017年02月15日 日記 トラックバック:0 コメント:0
贅沢
勉強することは贅沢だと思う。
この年になって改めてそう思う。
中学生や高校生のときには、知識としてはあっても
実感としては持ってなかった。
私が言いたいのは、勉強は贅沢なのだから、
させてもらうだけ感謝しよう ということではない。
こんな言い方するのも若干抵抗があるのだが、
勉強したくないならしなければいい
と思っている。
勉強は贅沢なのだから、したくないなら別に贅沢をする必要はない
と主張する。
勉強したくないなら、学校にいかずに働けばいいのである。
奨学金の返済義務を無くせ!
みたいな運動があるが、勘違いも甚だしい。
何度も言うが、勉強は贅沢なのである。
その贅沢をお金をかけずにしたいというなら、結果を残すしかないのだ。
現に結果を残す学者、学生にはそれなりの待遇が用意されているのだ。
大学全入時代と言われて久しいが、そもそもこの全員大学に入ること自体に歪みを感じる。
いったいどれだけの人が、学校・大学で学んだ専門性を持って職についているのだろうか。
中卒よりも高卒、高卒よりも大卒と、学歴による差は絶対にある。
大卒が増えることで、大卒がメリットになるのではなく、大卒でないことがデメリットになる。
結果的に就職するなら大卒になる必要性が強くなり、無駄に大卒を増やすことにつながっている。
結論、勉強は贅沢なのである。
贅沢が世に広まりすぎた結果、贅沢を強要されることにつながっている。
とりあえず、大学の数を減らそう。施設が充実しているのはいいことだと思うが、過剰な設備は毒にもなる。
2016年12月22日 日記 トラックバック:0 コメント:0
理解型と納得型
2つの言葉がある。
納得と理解。
ある事象に対して、
納得も理解もできる
納得はできるが、理解はできない
理解はできるが、納得いかない
納得も理解もできない
の4パターンに分類できるのではないかと思う。
具体的な例を挙げるなら
1:年功序列に対する私の意見
理解はできるが、納得はできない
2:運動方程式に対する私の意見
納得はできるが、理解はできない
3:関数に対する私の意見
納得も、理解もできる(自称)
納得も理解もできないのは踏み入った話題しか浮かばなかったので省略。
勉強に対する取り組み方も千差万別だと思うが
それ以上にこの分類のされ方が個人によるところが大きいような気がしてならない。
納得するのが勉強なのか、理解するのが勉強なのか。
答えを出すのはまだ先になりそうだ。
2016年12月11日 日記 トラックバック:0 コメント:0
センター試験が今年度もやってくる~(絶音)
今年も残りあとわずか。
となると、センター試験がもうすぐということですね。
各予備校のセンター試験特設ページが出始めるころでしょうか。
数学2・Bの問題に苦しめられた2015年、まさかの2次関数が消滅した2016年。
※厳密にいうなら2次関数の中の単元である2次不等式は出題されている。
が、おなじみの定数aを用いた、最大、最小が絡まなかったのは珍しかったと思う。
今年も全国で緊張が走る試験になることは間違いないですね。
今年はどの科目がカギを握ることになるのか。がんばれ、全国の受験生よ。
2016年12月10日 日記 トラックバック:0 コメント:0
思い立ったが吉日? 一回更地に戻してやろう。